昭和47年8月20日 特別奉修委員 (末永信太郎)
・・・頂いておりましたら、「桁違い」ということを頂きました。桁違いということね、例えば、算盤の玉が同じ一つでも、一つ上に上がったら、一は十であり、十なら百ですからね、桁違い。これはもう、私ども大阪辺りの大きな教会の話をきかせて頂きますと、お参りが日に千人もあるとかね、御本部参拝が二車両もあるとかと話聞きますとね、本当におかげ頂きたいなあ、と思うんです。
やっぱり、本当にせっかくおかげ頂くならば、千人よりも万人の人が助かるようなおかげ頂きたいと思うです。ですから、その、けっきょく合楽辺りとは桁が違うわけなんですよね。ですから、んなら、そういう桁違いということが一足飛びには出けないにしましても、こう、いっちょずつ上がって行くということはね、けっきょく自分というものを、この頃、佐田さんが頂かれたように、ゼロになって行く以外ないですね。
例えば、朝の今日の御理解なんかをよく頂いて、本当に、もうそしてね、例えば、同じこう家庭の中でもね、信心のあるモンと例えば少しある者、全然ないモンとは、もう全然、桁が違わにゃいかんです。それに、信心のなかモンが言うたっちゃ腹の立つごたるこっじゃ、もう、桁違いじゃないです。
だから、信心のなかモンと同じようなおかげしか頂っきらんちゅうことになる訳です。だからもう、それはね、おかしいぐらいに桁が違わにゃいかんです、信心のあるモンとない者は。ね。なら、その桁はっち、私も、なら、今も思いますように、その、そういうおかげを頂きたいと思うです。ね。
千人より万人の者が助かるようなおかげを頂きたい為には、なら、私自身が、もう、その、いつの場合でも機会をチャンスを頂いては、その都度つどに、普通にはとてもここはジッとしちゃおれん、黙っちゃおられんというところをですたい、自分を一つ空しゅうして行くということね、いう、その、ゼロを一つずつ加えて行く、と。ね。
百であんならば、一遍にゼロになったら、千になるです。また、その次のことを、自分を空しゅうしたら、いわゆる万になる訳なんですからね。いわゆる、本当にあの、第一、私どもは信心のない人、ある人の桁違いの信心を頂かにゃいかん。特別に、んなら、合楽なら合楽の場合でも、私は昨日、もうあの、下がっとりました、11時頃。それから、秋永先生が呼びに来てから、ここの前夜祭の後の後片付けが済んでから、お供え付けがあっとりました。
それが、どうもあの、どうもこう、ピタッと感じが悪いから、ちょっと見て下さいと言うのでした。そして来ましたら、私は本当に有り難いと思ったことは、あの、もちろん昨日は菊栄会の人達も何人かは来ておりましたし、それから、もちろん松栄会が中心になってやってますけれどもね、その一番下働きに働いておるのはね、皆あの黄陽会の連中でした、十人ばっかり。
もう、私はもう本当に有り難いと思うですね、合楽の場合。例えば、総代、そしてもう、総代の次の総代の準備がもう出けとる。もう、次の総代の、もう次の総代、合楽の場合は、そういうものを感ずるでしょうが。そういうように、一つずつこの、桁が上がって行きよる訳です。ね。
ですからね、なら、皆さんの場合なんかでも、やっぱし同じことが言えれると思うですがね。やはり、一般信者とは、もう、コロッと違うものがやっぱなからなければいけない。ね。この頃から、あの、小郡教会で信心研修会があって、もう、秋永先生が判別懇談をやってるのに、もう、先生の話ばっかり皆が聞き耳を立てとったという、また、その班に、みんな例えば野口さんとか佐田さんとか、波多野さんとか皆こう行っておられた訳でしょう。ほれで、帰ってみえてから、その話を聞かせてもらうとに、もう、どういう様々な難儀な問題を持って来られても、例えば野口さんが言っておられますのに、自分の通った信心ということ。
私は、そげん時にかくおかげを受けたという話、もうされると、もう、それこそ目を見張ってですね、もう帰りにはね、貴方のお話でおかげを頂きましたち言うてからお礼に来なさったといったようなね。私はそれ聞きながら思いました。これは、こういう会合には先ず、信心のない者ばってん、信心ある人たちの世界に入ってです、まあ、合楽の場合は、もう一切の焦点が和賀心時代を創るんだ、というのが皆さんがお話をしておられる焦点ですね。
ですから、和賀心時代を創ることのための運動員という自覚を持ってですね、皆さんが、例えば今日もどなたでしたかね。ああ、久富勇さんでしたか。今朝からあの、お知らせを頂いておられますのに、その、信心の勉強が足りないといったようなことを頂いておられました。ですから、今朝辺りの御理解なんかはもう、あのくらいの内容はもう誰にだって話せなければいけないし、あれが話せたら、金光大神の信心の素晴らしいことが分かるというくらいでしょう。ね。
それを、私はあの、その内容がやっぱり、これに身に付いとかんと、口に出て来んです、やはり。ね、くらいなおかげを頂いて、銘々(一つの?)、これはもう桁違い、段違いのおかげを頂かなければ、人を導きなんかて絶対出けませんよね。人を導くというか、話してあげるというのは出けませんよ。ね。
もう、次に突っ込まれたら、もう返事が出けませんもん。ね。ですから、どうしても皆さんの信心に神様が求められておるのは、ね、より誰よりも桁違いな信心を求めておられる。私どもも、それを思う。もう、本当に桁違いの大きな教会が沢山ある。そういう教会の、言うならば後に続かせて頂くためには、いよいよ私どもがね、空しゅうなって行く信心を続けて行かなければならないと思う。どうぞ。